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SITE - SPECIFICS

LODGE
Punch.Sleep.Stay.Born

2025  (Beppu/ JAPAN )​​

​​

“Oh—that wasn’t what I meant at all.

Somehow, I’ve been reborn…

Um— it hurts, though.

Well, thank you, I guess.

Somehow, I was born.

Somehow, I’m breathing here.

Sigh…  I’ll just sleep.

And there— I lodge.”

An immersive dance piece on the theme of lodging, dwelling, and the ambiguous line between life and death.

 

In this piece, the audience is invited to wander through a series of interconnected spaces, each housing fragments of physical and verbal memory. Rather than presenting a linear narrative, the work unfolds through sensations, traces, and atmospheres that evoke something quietly haunting.

 

At its core are three overlapping states of the body:

the sleeping body, the dead body, and the waking body —

forms that may appear similar, but carry entirely different meanings.

The dance emerges from within these subtle tensions.

 

The environment is composed of symbolic elements such as wild grass, fetal imagery, wine glasses, water, and birthday signs—each space quietly inhabited by metaphor.

As the audience moves freely through the performance, they gather fragments of sensation, encountering moments that resonate with their own memories, perceptions, and vulnerabilities.

 

Rather than being told what happens, they are invited to feel what lingers.

Project Credits

Concept/Planning: Yukino Narasaki

Performance/Artists: Daniel Miller, Yukino Narasaki

Filming: BPFILM24

Staff: Mari Oasa

Cooperation: Haioku Group, KitahamaSokaikai*北浜租界, Mr. Yamamoto

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ダンスレビュー

生まれる前の気持ちを踊る/祝福されるためのからだ

ならさきゆきの《宿る Punch. Sleep. Stay. Born》によせて

 

 

山脇益美

 

 眠る前の自分ってどんなすがたをしているだろう。部屋の隅から、もうひとりのわたしが見えるなら。

 ふとんにもぐって横向けになる。腰を丸めて、両足で毛布をぎゅっと挟んでみたり。枕元にスマホを置いて、なかなか眠れない。ぐずぐず。部屋の暗さと、液晶画面の光りと、ふとんの安心感の中で、さまざまなことを考える。まるで胎児のようだと思う。目をつぶって、眠ったり、眠れなかったりしながら。わたしは何かを待っている。わたしは何を待っている?

 

 別府・やよい天狗通りにある3階建てのビル、北浜租界。夜の訪れ、そわそわと人々がつどう。開演直前に開かれた細い入り口をそっと進み、狭い階段を注意深くのぼっていく。入った瞬間、どこか遠くの知らない国にやってきたような気持ちになったのは、建物全体を舞台に仕立てた〈イマーシブシアター〉という形式で空間を構成しているから(当日パンフレットより)。

 

 春分の日。あの世とこの世をつなぐ境目としてのお彼岸で、季節の生まれ変わりの日。

 赤く照らされた2階の空間で男性(ダニエル・ミラー)が何やら絵を描きはじめている。強い筆圧で、壁にぐぐっとペンを押し付けると、黒色のインクが滲み、つーと下に垂れてくる。描いているのは、足を曲げて横向きで寝ている女性(ならさきゆきの)のようだ。床にはいくつかの言葉と菜の花、日付の過ぎたカレンダー。その雰囲気は、美しさの中にある怖さや、不条理さという印象を受ける。

 

 やがてダニエルさんは、床に数字(日付)を書きはじめた。どうやらそれは彼の誕生日みたいだ。誕生日とは、その人が生まれることを選んだ日。本当のことを言えば、選んだわけでも、望んだわけでもないけれど。色々なめぐりあわせで、この世界に生まれてきた日。〈なぜか うまれてしまって〉という言葉の「しまって」に特に心寄せられるのは、きっとそういう自分自身がコントロールできない不可逆なできごとに、わたしたちは運命を動かされてきたから。しばらくすると、ダニエルさんは観客の何人かにペンを渡す。彼に倣って自分の誕生日を書く人もいたし、たぶんでたらめに書いた人もいたし、花の絵を描いたり、ペン先で点を打ち続けている人もいた。

 

 かたずを飲んで状況を見守る中、上の階段から、真っ赤なシャツを身にまとったゆきのさんが降りてきた。大事そうに藁(わら)を抱えて、一段一段。ゆらゆらと揺らしながら、赤ちゃんを愛でるような、そんなしぐさで。ゆきのさんはランダムに見つけた床の日付を読み上げ、それを書いた観客を中央の椅子に誘導する。そういうふうにして、彼女は、そのひとりのための踊りを舞いはじめる。ひらひらと逞しく。すべての生き物がこんなふうに祝福されて生まれてきたならば、どんなにしあわせだろう。そんなことを思った。そして壁の絵とシンクロするように、立ったまま頭を右に傾けて、床から拾い上げた紙に書かれた言葉を声に出し、ゆっくりと横たわった。

 この赤い空間での一連のできごとが、わたしには、子宮の中で過ごす胎児の時間のように感じられた。

 

 ダニエルさんに抱えられたゆきのさんは、少しのあいだ、もがき、抵抗する様子を見せた。やがてくたりと重力に身を委ねながら、空間の隅の調理台のような高さのスペースに置かれる。しばらく両の手足で空中を泳ぐような動きを見せたのち、そっと去った。そして、暗がりの中で、ダニエルさんが親族の闘病についての話をはじめた。このできごとが彼の死生観に影響を与えたことはわかるのだが、英語なので詳細までは聞き取れない。これはあとから聞いたのだけれど、この場において観客全員に意味が伝わりやすいであろう日本語ではなく、彼にとっての母国語(英語)で発話していたのは、ダニエルさん本人の心の声(本心)をダイレクトに表現するためなのだとか。わたしはもどかしくも、何とか思いを受け取りたいと耳を傾ける。

 

 生まれたり、亡くなったり。命にまつわる儀式が、この小さな部屋で行われている。

〈寝てないし、起きているわけでもない中で〉みんなに送り出されて亡くなるのならば、その順繰りで、生まれるときもまた、こんなふうに“みんな”に送り出されてこの世界にやってくるのだと思う。

 

 そのとき突然「火災が発生しました」という放送が鳴り響き、3階に上がるように促された。ひとりひとり順番に、狭い階段をさらにのぼっていく。3階では、ダニエルさんの誘いで、ワインとぶどうジュースが観客にふるまわれた。同時に、ぶどう、パセリ、コオロギも同じ「生き物」として、ガラスのお皿の上に並ぶ。戸惑いながらも「いただきます」と小さく声に出して、口へと運ぶ観客たち。

 

 ふと屋外のバルコニーのほうを見やると、ゆきのさんの、妖艶でありながら、力づよい手足の挙動が夜空に刺さっていた。背景は深紅の布。そばにころころと柑橘の実が転がる。甘夏だろうか。ゆきのさんは足でぐっと踏みしめながら、実から実へ。黄色い果実は飛沫をとばしてささやかに香りを放つ。

 地面には大きく細長い紙に描かれた、とある肖像画があった。わたしにはこの絵そのものが、産道のように思えた。生まれるための道。そうして彼女の“春分の踊り”はクライマックスを迎える。

 

 この作品は《宿る》という言葉をキーワードに、8つの物語の断片をつぎはぎして構成されている。

 ゆきのさんは、言葉にできない思いや、生まれる前の気持ちを拾って、自分の脳みそで煮詰めて、愛でて、拡げて、踊る人だと思う。身体じゅうをめぐる血液そのもののようでもあり、踊りたい、踊らざるを得ない欲動を持ち合わせた人。命を宿らせ、母のお腹の中で、ひとときを過ごす。生と死のあいだの、名前のつけられない時間と場所。これは2023年に別府・北高架下のコンクリート空間で踊った作品《浄化》でのテーマとも重なるだろう。温泉に浸かって温もり、命の水に抱かれ、身体がほぐされていく。そして新しい心身に生まれ直しているような感覚。ひとつの生命体が生まれてくるための道のり。観客は彼女の一挙一動を、自分の五感を使って能動的に“見守る”。ゆきのさんは、観客たちを全身で“祝福する”。

 今ここにいること。息をしていること。その不思議さを実感して、今夜もようやく眠れそうだ。

 

(2025年3月20日・別府にて鑑賞)

山脇益美(やまわき・ますみ)

詩人。京都生まれ、別府在住。暮らしの中で見つける詩のかけらを拾ったりとりこぼしたりしながら、絶(緊張)と景(緩和)のあいだを探求する日々。ダンスを見るのが好きで、言葉ではあらわせない感情の機微を身体が描くところに感動をおぼえます。その存在をじっと見ていると、ぽわぽわと言葉がシャボン玉のように浮かんできます。

Instagram:@mamawaru

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